【100日100話】005 朱夏の終わり、押しよせ、さらう。

   

 耳慣れないその言葉を教えてくれたのは、サーファーである叔父だった。
 あまりに海を波を愛していて、いつでもサーフィンができるよう、海辺に流木を使った店を建てるほどの、モテても結婚はできないタイプの大人だった。
 幼い私はよくその店で番をしていた。学童の閉まる長期休みは、両親にとってもかきいれ時だったからだ。
 母は毎度恐縮していたが、おかげで私はたくさんの若い人たちに囲まれ、可愛がられたり弄ばれたりしながら叔父との日々を過ごしていた。
 
 その日は、朝から小雨が降っていた。
 若い人たちは雨でも波に向かっていたけれど、叔父は必ず店にいて何かの作業をしていた。棚卸しをしたり、機材をチェックしたり、端末に向かって何かを打ち込んでいたり。
 けれどその日は違った。
 
「リィはどれがいいと思う」
 
 ばさり、と昔なら音がしたのかもしれない。そのくらいたくさんの、でも数えられはする程度の、女性の写真が画面に並んでいた。
 気軽に渡されたタブレットを持つ手が震える。声まで揺れる前に私は隣に座る叔父へ口を開いた。
 
「16股はどうかと思う」
「お前はどこでそう言う言葉を覚えてくるんだ」
 
 くん、とこめかみを小突く叔父の指は、枝のように太く固く茶色い。
 
「商売するなら身を固めろ、って上の親戚がうるさくてな。とうとう写真まで手配して来やがった」
「利益は出てるんでしょ?」
「講座に広告に動画教材――それで黒字にはしてるし飯も食える。可愛い姪っ子に菓子ぐらい買ってやれる」
「お菓子なんて自分で買えますー」
 
 夏が終われば12歳だというのに、彼の目にはまだ幼児なのか。
 ツンと顎を上げてみせた私を、なぜか叔父は真剣な目で見つめ返した。
 
「そうだ、菓子も服もリィはすぐ買えるようになる。嫁にもなれりゃ子も産める」
「な、何」
 
 いきなり話が飛びすぎだ。結婚だの出産だの以前に、恋すら私はしたことがない――はず、で。
 
「だけど、俺が独り身のままじゃそれも難しくなる……俺は、リィの幸せでまで邪魔をしたくないんだ」
 
 だから選んでくれ。どの写真でも、気に入った奴でいいから。
 シリアスな顔でそう言われた瞬間、私は手にある端末で叔父の頬をぶっ叩いていた。
 
「ふざけんな!」
 
 ――後に聞いた話。
 父が母と結婚するとき、定職につかず年中どこかでサーフィンをしているような叔父を、母方の親戚が案じて結婚に反対したことがあったらしい。
 
「うぬぼれてんじゃねぇよ馬鹿!」
 
 ――その頃の叔父はサーフィンの講座と広告で稼ぐ、立派な個人事業主だったのだが、老人達には理解しがたかったようだ。
 叔父は自営業とわかりやすくするために店を開き、定住することを選んだ。
 海と波と、何より自由が好きな人だったのに。
 
「叔父さん馬鹿にする奴なんざ、こっちから願い下げしてやんだから!」
 
 はあ、はあ、と空っぽの肺が急ぎ収縮をくり返す。
 小雨に降り囲まれた世界は、叔父と私の二人だけだった。
 高波の音も、若い歓声も、全て遠くの出来事で。
 
「瑠璃」
 
 日に焼けた腕に抱き寄せられる。私の頭は叔父の手にすっぽり収まった。
 
「悪かった。泣かんでくれ」
 
 泣いてない、と言うには視界が悪かった。ぼろりぼろりとあふれる滴が、自分はまだ子供だと返してくる。
 
「こと、わって」
「うん」
「じぶっ、きめて」
「ああ、そうだよな。ごめんな」
 
 背中に腕を回し抱きつきながら、叔父の胸で泣くのはこれで最後なのだろう、という予感が、私の胸を突いた。
 
 
早々に詰んだので、ねこあつめからお題を取りました。
今日のお題は「土用波」です。