【100日100話】034 お狐様のつがい

   

今日のお題は「ひがんばな」です。

お狐様のつがい

出逢うのは春と秋のある日。太陽が、真西に近く沈む頃。
「あなたはこの花みたいに背が伸びていきますね」
穏やかな声がそう笑って、花束の一本をこちらの耳元に飾る。遠目にわかるほど真っ赤な花は、細い花弁やしべもあいまって、線香花火を凍らせたようだ。
「人の世では、狐のかんざしと呼ぶようで……私と番うあなたにはちょうどいい」
細い金の目をさらに細め、稲荷神の眷属は首を傾ける。
とっさに顔を背けたのは、これで何度目だっただろう。

***

あるところに一組の父子がいた。父は多少抜けたところがあり、まだ幼い子をあまりに愛していた。
そんな父にとって、母と同じ病で幼子を失うことは、子を残して逝くこと以上に耐えられなかった。しかし父には医学の心得も、子を生き延びさせる以上の財もない。彼にあるのはただ溢れすぎるほどの愛だけであり、その向きは容易に信仰に向かった。要するに神頼みである。

父子にとって幸いだったのは、近隣に稲荷を祀った祠があったことだろう。なぜそこで稲荷にすがったのかと長じた子は思ったものだが、抜けたところのある父が愛の全てで新興宗教に向かった場合、控えめにいってもろくなことにはならなかったであろうから、やはり幸いであったと言わざるを得ない。
何より、稲荷神はその信仰の篤さを豆から手製した油揚げで知り(父は子の食育にも熱心だった)、幼子の病を癒してみせたのであるから。
――神の眷属との婚姻を、条件に加えて。

***

「此度もアマクチは嫌ですか」
顔を背けたこちらに、人の形(なり)の狐はうつくしい頭を少し引いた。
夜の滝のような黒髪をひとつに束ね、小ぶりな顔もあって全体に線が細く見える。金のつり目にすっと通る鼻筋、薄い唇は紅を刷いたように赤い。
どこか古風な装いに、香のように気品と艶を薫らせる狐は、眷属の中ではさして力も美麗さもないと言う。しかしそれでも、透けるように白いその肌には、こちらより余程緋の花の束が映えていた。
「夜ごと日ごと、あなたの頭(こうべ)が近づくほどに、その成長を嬉しく感じてきたものですが……」

「神域に行くのは、稲荷の力を受けたからというのは本当なの」
寂しげな声を断ち切っての問いに、向こうは細い目を軽く見開いた。
「ええ。今のあなたはまだ人の力が勝っていますが、子をなせるほどに育ちきれば他と同じく弱っていく。そうなれば、稲荷の御力が勝ったあなたは、人の世で生きられなくなるでしょう」
「そう――では、あなたは貧乏くじを引いたんだね。いや、押しつけられた方なのかな」
慌てたように伸ばされた手を振り払う。弾みで花と滴が落ちた。

わずかでも霊的な素養があれば、あるいは人の世でも生きていけたかもしれない。しかし幼子はその運命になかった。
神の力を無理に受けた者はいずれ神域に入るしかなく、人が稲荷の神域に入るには婚姻という手しかない。
『我々は義父君に何度も尋ねました。病を癒せば長く生きられるだろう。しかし十五を超えれば会えなくなるが、それでもいいかと』
父は子を愛していた。それは深く愛していた。日夜稲荷神の祠を清掃し、手製の油揚げを供えて子の長命を願うほどに。
だからこそ、自分より長く生きるならばと、神の言葉に首肯したのだ。

「なぜ、泣かれるのです……人の世に未練が残りますか。義父君や近しい方との別れがつらすぎるのですか。神域が恐ろしいのですか」
うろたえた声での狐の問いに、頭を激しく振り続ける。
「我々で勝手に決めたからですか。――私では、役不足でしたか」
「違う!」
ふいにゆがんだうつくしい顔に、否定の言葉を叫んでいた。
『ですから、私たちは番になるのですよ』
そう告げて以来、春には鮮やかな色の、秋には烈しい色の花束を携えて、向こうは欠かさずこちらにやって来た。
また背が伸びたと顔をほころばせ、額と頬へ愛しげに唇を落とし、いない間の四方山話を腕に抱きながら聞いてくれる――

母のいない自分にとって、年離れた姉のような人。
だからこそ、やわらかに細い四肢を穢す、そんな夢を見た衝撃は忘れられなかった。

気づいてしまえば近寄ることはおろか、まともに顔すら見られない。
語る言葉は減ったというのに、会える時間はなお早く過ぎ、会えない時間は子供の頃より遅い。
穏やかな言の端がふと他人に触れれば、実の父相手でさえ胸が灼けた。
――向こうはただ、責で人の子を引き取るだけなのに。
「僕が、あなたを恋うてしまったからだ」
情けないほどに、涙が止まらなかった。

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続き決めてないんだけどどうしよう←