【100日100話】043 告げるこの日を、待っていた。

   

今日のお題は「落葉」です。
以前見たお話を短くアレンジしてみたのですが、慣れない展開は難しいです。
もっと胸をぎゅいぎゅいさせるものを書きたい。

告げるこの日を、待っていた。

違和感を覚えたのはいつからだろう。
黄赤に染まる大きな葉を落とす大樹の下、それを見上げながらフェシェルは思う。
――寂しい。
言ってしまえばそれだけのこと。
そしてそれを詰ることも責めることも、まして嘆くことすら自分には許されていないのだ。

フェシェル・アン・ドゥールェ・ウェスタシオン――先王妃。
薄茶の髪に琥珀の瞳、幽けき二つ月の君、と呼ばれたその容貌は、華やぎのなさ故に貴族の中では埋もれてしまう。
正室を愛しすぎたがゆえに晩年まで再婚をしなかった先王が、なぜ終の連れ合いに彼女を選んだのかと、しばらくは口さがない噂が絶えなかったという。

だが、フェシェルは己の役割を知っていた。親に眉をしかめられつつ、密かに政治や経済を学んでいたために、次期幼王の盾として選ばれたことを。
幸い先王の崩御の前に、官吏達からの信任は得られていた。そのまま初の女性摂政となり十年――今年でフェシェルは三十になる。長の器ではないことを日々痛感しながら、それでも女性というだけで侮られぬよう、自分の精一杯をこの身で果たしてきた自負はあった。
……あるいは、だからなのか。激務の渦にあらがう内に、あの子の手を離してしまったのか。

婚姻当時三歳だったセドリックは、真っ黒な髪に灰色の眼をした、年頃らしくやんちゃな幼子で、興奮すると瞳の色が緑に変わっていた。
前王がまだ比較的息災だった頃は、セドリックやその幼なじみ達とともに、フェシェルはよく遊んでやったものだ。喧嘩した従姉姫との仲を取りもってやったのも、菓子で好き嫌いを減らしてやったのもフェシェルだった。

セドリックはフェシェルを「フィー」と呼び、義母相手とは思えぬほどよく懐いた。彼をつれて歩いていると、母子というより仲の良い姉弟のようだ、とよく言われたものだ。
高齢ゆえに産後すぐに亡くなったという、生みの母に甘えられなかった分を若い義母に求めているのだと思えば、政務中に手を止めることなど造作もない。
学業や剣術がうまくいったと、得意げな幼王を抱きしめてやりながら、しかし仕事中に飛び込んではならないと釘をさすのもフェシェルは忘れなかった。

「セディ……」

いつの間にか、柔らかな身体を抱きしめることも、跳ねる髪を梳いてやることもなくなった。雷が怖いだろうと寝台にもぐり込まれることも、目の合うたび嬉しそうな顔をすることさえも。
気がつけば撫でられることを嫌がり、供をつれて外へと出かけることが増えた。おやすみのキスもいつしか絶え、今では目も逸らされることが常である。

年月を考えれば当たり前のことだ。仮にも王である者が、いつまでも母を求める幼子でいる訳がない。葉が枯れて次の芽に場を譲るように、人も役目も移り変わっていくものなのだ。
――そうわかっているというのに、フェシェルの目は潤み、ほろほろと雫がすべっていく。寂しい。寂しい。ただそれだけを叫ぶ胸が、切り刻まれたように痛みを上げる。
……ただ頭の葉を取ってやりたかっただけなのに。

手を払われた力は軽いのに強く、見下ろす灰色の瞳は冷ややかだった。一礼こそすれどよそよそしさは消えず、改めてフェシェルは思い知ったのだ。
ふくふくと柔らかかったセディは体のしっかりしたセドリックとなり、若さと無知で侮られていた自分は貫禄のついた摂政となった。
ふり返れば怒濤の十年は短く、けれど決定的な差を作っている。

もうすぐ成人ですもの、人の手が気恥ずかしい年頃なのですよ。そう周囲に慰められはしたが、涙も痛みももう留められそうになかった。
せめてと逃げ出してきた大樹の下は、王家の者以外立ち入ることはない。包み込む手のように大きな葉を持つ大樹、フェシェルは政治の場で苦しめられるたび、この下で泣いては立ち上がってきた。だから、今度もきっと大丈夫だと、すがるように念じ続ける――

「フィー!」

聞こえた声にフェシェルは耳を疑った。
だが、この呼び名を使うのはあの子だけだ。自分以外に使うなと、従姉姫と喧嘩したほどなのだから。
「どうした、誰に泣かされた?!」
戸惑ううちに、もう目の前に黒髪の青年の顔がある。肩をつかむ手は強くとも優しく、わずかに見上げた位置で緑の対が燃える。
そこにあるのは幼王ではない、成人を直に迎える、若く輝かしい王の姿だった。
「――あなたに」
思わずこぼれた言葉に、目の前の顔がしかめられる。幼き日の面影をそこに見て、フェシェルはそっと苦笑した。

「あなたが無事に、健やかに成人まで育ってくれて、良かったと思っているのですよ」
黄赤に染まる、大きな葉がはらはらと周囲を舞う。自分もこの葉と同じことだ、とフェシェルは悟った。
「あなたは私の自慢の子です。きっと良き王になってくれる」
猛る緑の瞳を持つ、今のセドリックに秋は似合わない。いつかは似合うのかもしれないが、その時には自分はいないだろう。

「そう思うと少し寂しくなってしまって……ダメな養母ですね、私は」
ようやく止まった涙をぬぐう。親馬鹿な養母だと、思われるならそれでもよかった。
「――それで、見合いなんて進めてたのか」
だからこそ、苦々しげに吐かれた予想外の言葉に、フェシェルは目を丸くした。

王は王だけで立てるものではない。世継ぎのためばかりでなく、人としての面を安らげるためにも、王妃の存在は不可欠だ。
そう先王に繰り返されていたからこそ、フェシェルはこの二年、セドリックのための相手を探させていた。
「でも、決めるのはあなたです。先王の遺された通りに」
とっさに早口で返し、フェシェルはある可能性を忘れていたことに気づく。
自分が未経験だったからこそ、頭から抜け落ちていたこと。

「セドリック、もしかして」
誰か好きな方がいるの?
そう続くはずだった言葉は、突然の熱によってふさがれる。
幼い頃は小鳥のように交わしたそれが、同じ意味を持つと思うほど、フェシェルも世慣れていないわけではない。
「フィー……フェシェル・アン・ドゥールェ」
わずかに離れた唇が、吐息とともに頬を震わせる。
聞いてはいけない。止めなくてはならないのに。

「俺は、貴女がいい」

――そこにいたのは王でも義子でもない、ひとりの若い求愛者だった。