【100日100話】056 願いの果てへ

   

願いの果てへ

それは、不思議な存在だった。
ある者は聖なるパンと呼び、またある者はお茶請けのケーキだという。焼き菓子だと主張する者もいれば、菓子パンと位置づける者もいる。
「ともかく、そのシュトレンとやらを焼けばいいんですね」
はるばる東洋から来た弟子の問いに、マイスターはただ頷いて髭を剃り続ける。この住み込みの弟子へ唐突に課題を与えるとき、無口なマイスターはいつも洗面台の前にいた。唾が飛ぶおそれの少ないこの場所で。
(パン職人とは、これほど厳しい世界なのか)
コツコツと石畳を踏みしめながら、弟子は改めて感じ入る。
この国では、マイスターの称号を得なければパン職人は名乗れない。弟子もまた既にいくつものパンを指示され、どうにか修行期間の延長をもぎ取れていた。それでも枯葉混じる十月の風に吹かれれば、焦りも少なからず沸いてくる。
弟子はもともと饅頭屋の次男だった。蒸かした饅頭よりも焼かれたパンや焼き菓子に惹かれ、説得と伝手の果てに今のマイスターに拾われた。
この国のパン職人は皆手厳しい。そもそもパンを焼き続けるだけでも、故郷にはない無数の制限や決まりがある。自分の師のような寡黙なマイスターがいる一方、厨房で怒鳴り声の響かぬ日がないマイスターもいると聞く。
しないでいい苦労を背負っていることはわかっていた。ただパンを焼くだけならば、他にも方法はあったのだ。それでも、学ぶならば本場から知りたいと彼は願った。
(――落ち着け、マジパンは一度で合格が出たじゃないか。乾燥果物の扱いも何度だってやっている)
マイスターの孫にひっそり尋ねたところによれば、シュトレンとはマジパンとドライフルーツを混ぜ込んだ、半割りの薪のような形のパンらしい。十一月の終わりに焼かれるそれは、表面に雪のように砂糖がかけられ、クリスマスまで倉庫に保管される。そしてようやくクリスマスの昼食に、家族で四斤も食べ尽くしてしまうのだそうだ。
『ま、頑張んなさいな。試食くらいはしてあげてよ?』
十才の少女のあけすけな言葉を思い出して苦笑する。そしてすぐに顔を引き締めた。
(四斤とはえらく大きなパンだ。おそらく長く置くために乾燥するのを防ぐんだろう。砂糖もその助けなのかもしれない。しかし、一月近くも保存すれば、砂糖は溶けるし混ぜ込んだもろもろの味が移ってしまう……いや、むしろそれが狙いなのか?)
こつ、と足を止める。深く呼吸して、前を見据える。
――見えたのなら、あとは進むだけだ。

クコの実や杏、パパイヤなどを用いたアジアン・シュトレンは、その味のオリエンタルさ故にマイスターには却下される。
しかし、それまでの成果を結集して作られたこの新作シュトレンに、弟子の本気を見て取ったマイスターは、彼に一子相伝のレシピを渡すことを決めた。
本場の称号とともにレシピを受け取り、故郷に錦を飾った元弟子は、嗜好品の一般化を求める流れの中、躍進していくこととなる。

今日のお題は「シュトレン」です。ハッピーホリディ!
うっかり巨大ストーリーになるところだったので、一場面でぶったぎりました。消化しきれないとこうなる。