【100日100話】031 ガレの蜻蛉愛が生々しすぎて死にそうな件

   

 

今日のお題は「赤とんぼ」です。
虫の苦手な方はご注意ください。

ガレの蜻蛉愛が生々しすぎて死にそうな件

 
器の類は好きな方だ。美術品ならさらにそう。華奢な描線に装飾散らし、それらは古の客と職人の繁栄の跡を透かし見せる。

――が、昆虫シリーズ、てめえはダメだ。特にアール・ヌーヴォーの時代に作られたやつなんか、ひと目で怖気が走る。

「エミール・ガレなんて嫌いだ馬鹿野郎……!」
「はいはい、ジャポニズムも試験範囲なんだから勉強しようね」

19世紀、貿易や万博を通じて広まったオリエンタル・ブーム。その一端に日本文化の流入があった。といっても陶器や団扇のような風俗小物とか、和本や浮世絵を通じて示された物の見方とか、そういうのがややファンタジックに解釈された面が強いんだけど。

その中に、ささやかな動植物を絵画の題材にする、という考え方がある。その辺の野草とか、魚とか蛙とかをネタに絵を描くってことね。

これ、日本人には当たり前の思考なのだけれど、風景画すら格下に見られていた当時の西洋美術界にとって、かなりの衝撃を与えられたものらしい。猫も杓子も『和漢三才図絵』等の挿し絵をパク、もとい模写して陶磁器に描いたり、小物の装飾に使ったりしていた。

それに特に熱心だったひとりが、さっき叫んだエミール・ガレ。最初は陶磁器や家具も作っていたんだけど、そのうちガラスが主になって、今じゃ工芸作家として歴史に名を残す偉人――なんだけれど。

西洋美術は、基本的にリアリズムでできている。印象派の登場までは、写真に近いほどの立体表現万歳なところが大きい。

つまり、大変生々しいのだ、ガレのガラス装飾は。

「きのこはまだかわいいよ? でも虫とか虫とかトンボとか虫とか実物より虫っぽいじゃんしかもでかいじゃんランプに両手サイズとかテーブルの脚丸ごとトンボとかなぜその大きさにしたし?!」
「ぶっちゃけ愛でしょ。『うちふるえる蜻蛉を愛するものこれを作る』、ってね」
「愛が重いよエミール、ジャポネへの愛が重すぎるよ……」

かつて日本は、国の形がトンボの交わる姿に似ているからと、トンボの古称にちなんでアキツシマ(秋津洲)とも言われていたらしい。

そこからなのか、ジャポニズム当時の、特にフランスの日本美術ファンの間では、トンボを日本の象徴とする見方も広まっていたそうだ。

「それだけ衝撃的だったんでしょ。ほら、ガレ以外もやるよ」
「もう虫見たくないぃー」

ぐずぐず言いながら、秋試験のためにページをめくった。

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蜻蛉というとエミール・ガレです、個人的には。
あの作家のガラス作品は綺麗っちゃ綺麗なんですけど、それ以上に虫の細部がやたら生々しくて、昆虫ダメな私にはなかなか鑑賞の厳しい作家でもあります。
作中の美術うんちく話は私が今まで美術館を巡って得たものと、今回ちょっと調べたものを混ぜ合わせました。8割がた記憶頼りの私の解釈なので、詳しい方にはつっこまれる程度の知識だとお考えいただければ幸いです。
なお、”うちふるえる蜻蛉を愛するものこれを作る”は、サントリー美術館「開館1周年記念展 ガレとジャポニスム」(リンクをはる)の「第4章:ガレと蜻蛉」から引用いたしました。2008年の企画展ページを残していてくださったサントリー美術館に、深く御礼申し上げます。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2008_02/display.html

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