【100日100話】044 主(未定)とお付きの冒険~遭難未遂編~

   

 その谷では、昼でも降るような星が見られるのだという。

「木漏れ日の類を勘違いしたとかじゃないんですかあ。こぉんなに樹が繁っちゃ、そんな気にもなりますって」
「それを確かめるのが仕事でしょう!」

 ぷんすこ、とでも音が出そうなほど頬をふくらませる小柄な少女に、お付きの青年はやれやれと首を振った。

「仕事というか仕事にさせたというか……高貴なる義務ってのは、お姫さんに冒険者まがいのことをさせるもんではないでしょうに」
「不思議には必ず理由があるわ。領民の不安を解くのもわたくしの務めです」

 そう少女はない胸を張る。領民達は不安どころかそれで町おこしを企んでいるほどであったが、不可思議な現象をそのままに旅の者を案内するというのも、危険だと言えないことはない。たとえそれまでに害がないものでも。

(いや、一度だけある、か)

 だからこそ姫たる少女は強硬にこの”仕事”を作り上げたのだし、自分も行くと聞かなかったのだ。下手に冒険者としての装備を一揃い持っているのも、後押しとなった。

(やっぱり揃えさせるんじゃなかったかねぇ……ん?)

 その瞬間、青年は”何か”を踏んだ。踏み入ったのだ、と気づいたときには不可視の光輝が上がり、人の世界を切り取ろうとする。

「姫さん!」

 呑まれる前に――そう願う青年の意はむなしく裏切られ、彼と少女は亜界に取り込まれた。
 亜界。それは人の世と神の世の狭間に浮かぶ泡のようなもの。そこでは人の常識も神の摂理も通用しない。炉端の石のようにじっと息を潜めていれば、やがて通り過ぎていくものではあるが……それが数分か数百年かもまちまちだ。

『静かに――いいですね?』

 離れぬようきつく抱き、囁けばこくりと頷く。蝶よ花よと育てられた割に、この姫は土壇場での肝が太い。それがわずかばかりでも自分への信頼からくるものならば、青年とて少しは気分がいい。
 ようやく周囲を見渡す。亜界の中は、銀粉を混ぜた透明なゼリーのようだった。木々の茂る”向こう”が透けて見え、その暗さゆえに中からすれば、か細い星々に周囲を取り囲まれているようである。
 何もなければ美しい光景であったし、呼吸をさせてやれるだけまだマシだが――ねとりねとりと全身に何かが触れてくる感触は、姫の顔をしかめさせるに十分だった。

(星が見えるのは、この先の泉だという話だが……そこに住まうか、あるいは泉そのものが亜界だったか?)

 顔を押しつけてきた少女の頭を撫でつつ、青年は考える。
 亜界の本質は”泡”である。流れることもとどまることも、神ですら法則を追いきれてはいない。まして一見水のようであれば、池や泉と間違われることはよくあるのだ。

(まあ、まずは出るのが先か。お姫さんがかわいそうだからな)

 小柄な少女の身を強く抱き、青年が音をこぼす。人の耳に聞こえる範囲を超えた、不可思議な韻律を持つ”唄”が響く。
 ゆるゆると浮き沈みしていた銀粉が、途端にある方向へ流れはじめる。その速さが急激に上がっていき、やがて二人は不可視の光輝に触れた。

「――お姫さん、出ましたよ」
「早く言いなさいな!」

 亜界が十分に離れたことを確認し、声をかければ理不尽な文句が返る。

「それに力強すぎでしょう、みしって言いましたわよどこかの骨が!」
「いやあ、お姫さんなくしたら老主様怖いんで、ついつい」
「……未来の主を付属物扱いしないでくれます?」

 むう、と口をとがらす少女は、青年がいなければ千年を亜界で過ごす羽目になったことに気づかない。
 星降る中にひとり浮かぶ姫君――それはそれで美しいけれど。

「お姫さんは動いてる方がいいですからねえ」
「だったらその腕を早く離しなさいな」

 亜界があるのなら領民を止めないと、と騒ぐ少女を、青年は昔のようにもうしばらく抱きしめていたのだった。

今日のお題は「星」です。

星の井って井戸が実際あったそうですね。今は見られないらしいですが。