【100日100話】037 その香を君は何と呼ぶ

   

今日のお題は「金木犀」です。
花言葉から甘酸っぱさ重視、剣士と可愛い子でベタなお話。

その香を君は何と呼ぶ

剣を習うのは好きだ。兄弟子に勝てれば嬉しいし、師範が相手をしてくれるのも楽しい。自分の体めいっぱいを使って、研ぎ澄まされていくのが気持ちいい。
「ってのを全部だいなしにするんだよなあ、この臭さ……」
着替えるそばから鼻を曲げずにいられない。夏場よりましになったとはいえ、稽古後の熱気は相当だ。胴着に染み込んだ汗臭さは、多少風にさらしたくらいじゃ抜けやしない。
――男って何でこうむさくるしいんだろうね。
早々に道場を出て、この時期だけ通う場所に向かう。角を曲がる前から漂う甘い香りは、路地に入るといっそう濃くなった。
橙の道。そう呼びたくなるほどの花弁の絨毯に出迎えられる。その正体は頭上で咲きほこる秋の花だ。小ぶりな庭木の割に、独特な香りは甘く濃い。
「ああ、いい匂い……!」
深く周囲を吸い込めば、さっきまでの異臭は消えていく。トイレ用の匂いと年輩の兄弟子は言うけれど、私はこの花の匂いが好きだった。
「――あの、」
深呼吸中の不意の声、それに肩がはねるなんて剣士の恥だ。こんな狭い路地で人と会うことなんてなかったから、すっかり気を抜いてしまっていた。
「これ、どうぞ」
相手の顔を見る暇もなく、ジャム瓶のようなものを押しつけられる。割らないようとっさに受け止めれば、知らない熱が指に触れた。それが相手の指だと悟ると同時、息をのんで手を引っ込められる。
ようやく見たその顔は造りや表情の前に、まず耳まで火照る赤さが目立った。
――かわいい子だなあ。
瞬間、思ったのはそんなおっさんくさいことで。けれど実際、やわらかな曲線ばかりの真っ赤な顔はとても愛らしかった。自分が直線の多い男顔だと言われていたから、なおさらに。
「あの、それなら冬になっても匂いがもつと思うので……い、いつもうちの金木犀にありがとうございます!」
まじまじと見ていたせいか、相手は長い睫の目を伏せると、それだけ叫んで駆けていってしまった。
「うちの……? うちのって、え」
それはつまり、いい匂いだの甘さ最高だのトイレとかふざけんなだの、私がいつもここで言うの聞いてたってことか――あの可愛らしい子が?!
途端に頬に上がる熱はいまさらで、思わず顔に当てた瓶にさらに気まずくなる。よくある大きさのジャム瓶は、その口で細いリボンが揺れていた。
――花の橙と塩の白が交互に層になったその中身は、モイストポプリと言うのだと後に知った。乾くと香りの消える花でも、この形なら数年長持ちするらしい。
「時期外れの春か?」
「何の話ですか」
経緯を聞いたらしい兄弟子のすねを蹴って、私は瓶を自分用の鍵つき棚にしまった。
――自室や更衣室に持ち込むのは、何となく気恥ずかしかったのだ。

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