【100日100話】067 監視曰く、稚児趣味に今の河原は向かずと。

   

監視曰く、稚児趣味に今の河原は向かずと。

枯れ草を割いた糸を手に、実の一粒を通していく。
「ひとぉつ、ふたぁつ……ひとぉつ、ふたぁつ……」
百と八つの小さな実を、つなぎきるまで出られはしない。それは先祖を弔う仏具を模した、草と草の実の腕飾り。

「ひとぉつ、ふたぁつ……ひとぉ、あっ」
だが枯れ草はひどく脆く、それを割いた糸もまた脆い。そのくせ糸の柔さには遠く、実に空いた細穴を早々めったにくぐらない。

「ひくっ……ひっ……」
なぜ己がこんな責めを負わされる。そう叫ぶ気力はとうにない。冷たい岩場に広がるのは、ただ罪ゆえにうなだれ泣く者ばかり。

ある者は切符を買う金すらなく踏切に飛び込んだ。
ある者は狂うた親の始末に疲れ橋から落ちた。
ある者はただ身の内の虚に圧し侵され果てた。

地獄の鬼は彼らに言う。

お主らは責を怠った。それは親にでもない子にでもない、自身救済の責である。
不信怠慢の因を以て果と成す。故に救済を望むならば、自身の煩悩を連ね一心総身の祈りを見せよ。

四十を越えて身は肥り、五十を越えて毛は薄く、六十を越えて骨は軋む。
そんな”子供”で溢れる賽の河原の一角で、死者たちは今日も岩場の中、石の間に落ちた小さな珠の実を探すのだ……

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今日のお題は「じゅず玉」です。
数珠に通す珠のことも、そこから転じて名付けられた植物のことも指すそうです。

昔の(貧乏子沢山な)日本の子育てが「生かしてやるだけ上等」とか「子売りは優しさ」とか「子を殺すのは必要悪」とかいう考え方だったと聞くと、賽の河原の教えは罪悪感から生まれたのかなあ……と思うこの頃です。
年月の中で中身や解釈が変容していった可能性も高いですけれどね。

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