本日の引きつぎ

   

撮影者:Taisyo(Wikipedia)

路面電車の運転席

        

 年の瀬に向かう広島の空へ、路面電車の音が響きます。

 がとんごとん がとんごとん

「レールもないのに……」

 つぶやいたのは新米の運転手。彼の目に映るのは、木々の中、平らに続く黒土の道でした。

「ここも線路さ。見えないけれどね」

 返したのは年老いた先輩。先達が運転席の隣に立つ、いつもの新人教育の姿勢でいます。

 彼らが乗っているのは、やや旧式の一両電車でした。

 前後には運転席と大きな窓、その間に日の差す座席と乗降口。窓の外には見慣れぬ木々があふれ、雨の日にはすべりやすい床には、いくつかの荷物が置かれています。

「着く前におさらいをしておこうか」

「はい。今日はクリスマス列車を飾る支度のため、星の森で光る石を集めます」

「石の名は?」

「……えーっと」

 新米の目が泳ぎます。

「ともし石、だよ」

「あっ。はい、そのともし石を集めるのが俺たちの仕事です!」

 勢い込む新米に、先輩は口元だけで笑いました。

「今時は人の作ったあかり――電飾といったか――もあるが、やはり昔なじみのこいつには、ともし石がよく似合う」

「年末には砂になっちゃうんじゃ、掃除が大変ですけどね」

 そうこう言う間にも、旧式の一両電車は、木々の間を奥へ奥へと進んでいきます。はらはらと燃えながら落ちていく広葉樹から、鬱蒼とした中に光を揺らす常緑樹へと変わっていけば、ともし石の場所はもうすぐ。

「ほら、あそこでとまるんだ」

 澄んだ色のログハウスを指さして、老年の先輩が言います。新米運転手が緊張しながら電車をとめると、いつも通りのブレーキ音が鳴りました。

「ほうき出しますね!」

「いや、まだだよ」

「え?」

 首をふる先輩に、新米はきょとんと目を見開きます。

「ほうきでからめて集めるんですよね?」

「何のために電車で来たと思っているんだい。まさか君だけで集められるわけがないだろう」

「って、手伝ってくださいよ~」

「この体では無理さ。それに、適役は他にいる」

 座席に回り、大きな紙袋を取りあげると、先輩は電車の腹にある乗降口から、ログハウスに向かって呼びかけました。

「シミワタルヨルノオンカタ! 今年のバターケーキをお持ちしましたよ!」

『よかろう』

 突然ひびいた低音に、電車の窓がビリビリとふるえます。

 新米があぜんとする中、ログハウスのドアがぱかりと開き、奥から長い腕が伸びてきました。あおい筋がいくつか見えるほど白い、優美な細い腕でした。

 その先にある手のひらが、先輩の老いた顔に触れました。皺の刻まれた目元をなで、毛の生えたあちこちをたどっていきます。

『ヒトは相変わらず古びていくな』

「はい、私も時がまいりました」

 視線でうながされ、新米はおそるおそる、乗降口に近づいていきました。

 ――春に入社して以来、先輩とともに様々な”ヒトならぬもの”と出会い、その引き継ぎを行ってきましたが、毎度怖れと緊張にまとわりつかれるのは、どうしようもなかったのです。

 ようよう乗降口に着くと、べたん、と正面から白い手のひらが当てられます。しみるほど冷たい手のひらに、鼻から口から一緒くたにもみこまれ、指で目がつぶれませんようにと新米は必死に祈りました。

『――みえるだけか。年々ひ弱になっていくのは気のせいか?』

「弱いからこそ、隣人の助けが必要なのです。私の後をまかせておりますので、この者にもオンカタの加護をいただきたく」

『ふん、こいつもケーキを持ってくるならそれでいい』

 ようやく手のひらが離れます。その手で紙袋を取りあげると、するりとログハウスに引っこんでいきました。

 ぱとり、戸が閉まります。

「……あれ、ちょっとはしゃいでましたよね」

「君もだいぶ読めるようになったようだね」

 もみこまれた顔をほぐしながら、新米ははたとあることに気づきました。

「で、結局、ともし石を集めるのはどうするんです?」

「まあみていなさい」

 しばし後、ログハウスの戸が再度ぱかりと開きます。

 無意識に身がまえる新米の目にうつったのは、大小さまざまなボール状の、白い毛むくじゃらのむれでした。ころころと転がり、ぽんとはねて、なでれば猫のようにやわらかそうです。

 そんな白い毛玉たちが、ぽんぽんころころと散らばって、それぞれ常緑樹のもとへと向かっていきました。そして葉の中に体を突っこむと、ぐるるんぐるりと身をひねります。とたんに粒のような光がひらめき、毛玉のほうに移っていきます。

「さ、ほうきを準備して」

「えぇ?」

「彼らがすぐに来るからね」

 そうこうしているうちに、電車の腹と前後にある乗降口から、毛玉たちが乗りこんできました。床のなかばまで転がると、その場でぬれた獣のように、勢いよく体をふるわせます。すると毛についた光の粒が、ぽとこと音を立てて散らばりました。

「これがともし石だよ。毎年バターケーキと引きかえに、こうして集めていただくのさ」

 ひとつ取りあげて先輩が言いました。

「石っていうか、光る木の実みたいですね」

「オンカタは食用になさっている。そのことでもめた時期があってね、以来好物のバターケーキをお持ちしているんだ」

「なるほど――ところで先輩」

 ふいに新米は、じとりと目をすがめさせて、

「乗降口から座席まで、石が散らばり放題なんですけど……?」

「来年からは一人なんだ、がんばりたまえ」

「やっぱりこのほうきってそのためだったんですか?!」

 ああちくしょう! と叫びながらも、新米は石のはき集めに駆け回ります。

 伸びやかにはねる手足、くるくるとよく動く頭と目、ケーキのかすが混ざっていると騒ぐ大声――それはかつて、先輩も持っていたものでした。

「……あの頃のあなたに、私は追いつけましたかねえ」

 引きつぎのたびよぎる記憶に、その中でたたずむ一年限りの先達に、老いた先輩は思いをはせます。

 教わったことはたくさん、教わりたかったことはさらにたくさん、けれどこの数十年を振り返れば、学びはあまりに多様にすぎて。

 愚直であることをやめられぬまま、この春から始まった一年限りの関係も、そろそろ終わりを迎えようとしています。

 ――彼ならば、きっと……

「って、先輩寝るなら座席に座ってください! 今掃除しますから!」

「寝てはないさ」「寝てる奴はみんなそう言うんですよ……」

 その間にも、ともし石は集まっていき、ついに電車に飾るには十分な量が、いくつもの箱におさめられました。なるほど電車ごと来るはずだ、と新米は息を整えます。

 その足下に、毛玉たちがころころ集まってきました。中には元気よくはねているものや、すそからもぐりこもうとするものもいます。

「気に入られたようだね」

「めっちゃこそばいんです、けどっ」

「ひとつずつなでてねぎらうんだ。そうしたら帰っていく」

 すりすりと体をこすりつけ、何やら期待を寄せてくる気配に、新米はそろそろと手を伸ばし、毛玉のひとつを手でおおいます。ふわりとやわりの合いの子のような感触がして、やはりどこか猫に似ています。思い切ってわしわしとなでてやると、満足げな気配とともに転がり去っていきました。

「あ、先輩の足下にもいますよ」

「いや……私はもう、触ってはいけないから」

 穏やかな声と直立不動の姿に、新米はつと目をふせます。勤続数十年の重みを、彼が理解することは難しい。ただ、数えられる回数しかなでに来ることはないのだと、それだけは察することができました。

「ちょっ、わき! わきは勘弁しろって?!」

「ははは」

 よじ登られながらもどうにかなで続け、最後の毛玉が帰っていきます。

「さあ、会社に戻ろう」

「飾りつけはどうするんですか?」

「がんばりたまえ」「またですか?!」

「冗談さ。明日にでも、管理部の誰かが行うだろう」

 残りの石が落ちていないか確信しつつ、来たときとは反対の運転席へ。新米はいすに腰をかけ、老いた先輩はその隣に立ちました。新人教育の基本姿勢です。

「信号よし、ポイントよし」

 背筋を伸ばし、新米の運転手は指をさします。たとえ実際はそこになくとも、確認するよう教育されているのです。

 ようやく握り慣れてきたレバーを引き、がとんごとん、路面電車は森の中を走りはじめました。

「次は冬山の引きつぎをしなくてはね」

「あー、結局四季全部あるんですね……」

 二人が言い交わす後ろの席、ことことゆれるともし石から、バターケーキの残り香がたちのぼりました。

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