【100日100話】097 21時のバスタイム

   

築40年の宿舎はカビで地図ができるほどぼろぼろだったが、風呂だけはたっぷりとしているのがいい、とケイロスはいつも考えている。

種族によって好みは違うが、ケイロスは風呂を好む方だ。ただし毛が長いので、入るのは夜が更けてからのことになる。

前後の脚をたたみ、湯船でふうと息をつく。傷に効くという湯は右前脚に少し沁みるが、こんこんと沸いてほどよく温かく、出る気にはなれなかった。

ケイロスたちの種族は、国や土地を護るという概念になじまない。草木のある場所でならどこででも生きていけるし、知恵も知識も生まれながらに蓄えられているからだ。暮らす場所を転々と変え、導かれるままに放浪する、それが種族の本能だった。

だが、ケイロスはその本能に逆らって人間たちと共にいる。

土地に居着き、板で囲い、生きるために工夫をする種族。その工夫は時に恐ろしい向きへと突き進むが、彼らは遊びや楽しむことにもまた突き進んだ。

体を洗う油に香りを付けることや、湧き出る湯のために桶を作ることなど、人間が当たり前に行うことはケイロスの持つ知識たちにはなかった。

当然だろう、ケイロスの知恵は放浪する彼の種族が継いできたもの、その中に人間の知恵が混ざる機会など少なすぎる。

ケイロスは深々と息をした。湯気に混ざって、かすかに香油の残り香が漂う。

彼にとってはこの風呂を護るというだけでも、居着くのに十分な理由になるのだった。

「24時間の過ごし方」より
提供サイト:TOY

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